『院庄館跡(児島高徳伝説地)』 岡山県 史跡
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院庄館跡(児島高徳伝説地) 《基本情報》
名称 | 院庄館跡(児島高徳伝説地) |
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文化財種類 | 史跡名勝記念物 |
文化財種別 | 史跡 |
名称 | - |
都道府県 | 岡山県 |
概要 | 『院庄館跡(児島高徳伝説地)』 (岡山県)は 、国指定の史跡です。 鎌倉時代から室町時代にかけての美作守護職の居館跡と推定される遺跡です。 児島高徳伝説 都を発った天皇の御車を奪い返そうと、児島高徳が兵を率いて後を追い、行在所(あんざいしょ・天皇の旅先の設けた仮の御所)になった院庄館に忍び込みます。 しかし、警護が堅くてどうしても目的を果たすことができず、大きな桜の幹を削って漢詩を書きます。 中国春秋時代、呉越の戦いの時に越王「勾践(こうせん)」が戦いに敗れで苦渋を強いられていた時(「臥薪嘗胆」の語源で知られています)「范螽(はんれい)」という忠臣が呉を滅ぼし越の国の再興を果たした故事をもって、天皇を勾践、范螽を自身になぞらえ、自分が天皇をなんとしても救出するという決意を示したものです。 この伝説は歌になり、『尋常小学唱歌(六)』(大正3年6月)から昭和7年の『新訂尋常小学唱歌』まで教科書に掲載され、学校唱歌として長く歌われていました。年配の方が口ずさむのを聞いたことがあるという方もいるでしょう。 文部省唱歌「児島高徳(こじまたかのり)」 作詞者不詳・作曲:岡野貞一 船坂山(ふなさかやま)や杉坂(すぎさか)と 御心(みこころ)ならぬいでましの ※船坂山、杉坂は兵庫県と岡山県の境にある地名 |